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●ダークソウル完結編

つい最近、ダークソウル3のDLCを今更ながらクリアしました。
出たのは去年春位だったんですが、当時は違うゲームにハマっていてすっかり忘れていたんですよね。

いやぁやっぱり良いゲームでした。ただ、ダークソウル3は「ソウルシリーズ」の最終章を唱っているだけあって、終末的な雰囲気がどこかもの悲しくなります。

DLC2では、ダークソウルとはなにか?人間性とはなにか?について語られました。
それについて少ししゃべりたいと思います。

●パッチとラップ

DLC2、つまり「ダークソウル」シリーズの最後のNPCイベントは、パッチでした。
彼は初代ダークソウルから存在していて、なんならその前のデモンズソウル、その後のブラッドボーンにも出演しています。
デモンズソウルとブラッドボーンの彼は別人とは思いますが、パッチは初代ダークソウルの時代から亡者にならずに最後まで生き残ったとてつもない人物だと思います。

彼は、毎回遭遇後に騙すイベントが有るのですが、それは今回のイベントでもありました。
記憶を見つけたラップが「そこに良いものがある」と誘ってくるので、覗くと後ろから蹴り落とされます。宝物部屋に向かって。

その後、「…だが、それでこそ人の道なのかもな」と発言し、どこかへ去っていきます。


それでこそ人の道。これはやはりダークソウルの本質を現していますよね。
ダークソウルの根本は「人は皆心に闇を抱えている。」という、つまり「本質は闇」がテーマです。


人は皆、欲を出す。それを騙す、騙される。これこそが人間性。これが、パッチがダークソウル初代から3までという途方もない時間を、亡者にもならず過ごしてきた末の答えだと思います。


パッチは、ラップとして記憶の限界まで来てしまいながらも、輪の都という掃き溜めに来て最終的に「人間」としての答えを見つけたと思います。


このイベント後に、パッチはフィリアノール戦にて「不屈のパッチ」として白サインを書いてくれます。
不屈。やはり彼は強いですね。荒廃していく火の無い闇の世界でも、誰よりも人間を知っている彼は死ぬ最後まで生き残るでしょうね。


●奴隷騎士ゲール

恐らく、大半の方はゲールが何故、「ダークソウル」最後のラスボスなのだろう。と感じると思います。私も実際初見はそう思いました。
ただ、ゲールのソウルと、絵描きの少女の一連のイベントをクリアして見方が変わりました。やはりダークソウルは素晴らしいモノです。

まず、何故ゲールなのか。
ダークソウルは、初代、2と爺さんが頑張る物語でした。フロム・ソフトウェアは爺が好きなんですよね。
爺(グウィン)に始まったのなら爺(ゲール)に終わる、ということで爺さんのキャラが必要だったのでしょう。そして、白教で無くてはならない。

彼は、絵描き少女の望みを叶えるために、顔料を求めさ迷っていました。
そして、プレイヤーはその顔料はで出来ていることを知ります。
ただの血ではありませんでした。彼女は特別な絵を書きます。書いた絵の中に、「新たな世界」が出来上がる特別な絵です。

それを書くために必要な顔料は暗い魂の血(ダークソウル)でした。

そして、それを求めゲールは輪の都まできました。そこには、ダークソウルを持った小人がいると知っていたからだと思います。

ただ、もはや灰と化し終末の一途をたどるこの世界の小人達は干からびたミイラの様になっていました。
その為、ゲールは小人を魂ごと食らう事によって、体にダークソウルを宿し、プレイヤーに殺してもらう事により、顔料を作ろうとしたのです。

これは、初代ダークソウルのグウィンドリンと全く同じ事を繰り返していると考えられます。
二人とも自分を継いで貰う為、身を捧げた爺さんですからね。


そして彼を初めて見た時、まず思ったのは深淵歩きアルトリウスに似ているなぁ。ということです。
彼も内に闇を秘め、荒れ狂う獣の様な戦い方になっていました。
つまり、ダークソウルとは内に秘めた闇に染まる、というブラッドボーンの獣化に似たような事が起こるわけですね。

そして次に思ったのは、ゲールの使う奇跡は白教の輪以外に、闇の中から雷を飛ばすというモノだということです。
これに関しては後述します。



●絵描き少女

ゲールを殺し、顔料として絵描きの少女へと持ち帰ると、とあるセリフを聞けます。
「もうすぐ絵が完成する。この絵の名前をどうしようか?」と。
そして、それを答えると…

「分かりました。ではこの画には、灰の名を付けます」と帰ってくるのです。



その後、
「ずっと寒くて暗くてとっても優しい画…。きっといつか、誰かの居場所になるような。
…ゲール爺も、いつか帰ってくるのかしら。新しい画が、お爺ちゃんの居場所になるといいな…」

と会話が続き、ダークソウル3は終わりです。






これ、とんでも無いこと言ってませんかね。
つまり、この子のダークソウルを使って書いている世界は灰の世界です。


灰の世界とは、ダークソウルが始まる前の、何も無かった世界の事です。
何も無く、暗く、争いもなく、ただただ優しい世界。それを書いている。


つまりこの世界は、ダークソウルを顔料として描かれた世界から始まっているという事なんじゃないでしょうか。



いずれ、絵が完成したらそこでは平和な世界が過ごされるでしょう。でも長くは続きません。
そして、いつか争いが起こり火がつくでしょう。ダークソウルも生まれるでしょう。パッチも言っていました。それこそが人間だと。


こうしてダークソウルの世界はとして巡っていくんじゃないでしょうか。


つまり、グウィンもゲールも、どちらも新しい世界を作る一人となった爺さんだと思いました。
ゲールが暗い闇から、雷の奇跡を飛ばしてくるのもグウィンの雷の槍を暗喩しているからなんでしょうね。

●“輪“とは

輪、つまりリング。円環ですね。終わりがないものです。
ダークソウル1の元々のタイトルはダークリングだったそうです。
そして、白教のモチーフは白い輪っか。
輪の都。ダークソウルが終わるにはまさに相応しいですね。

この世界は全て輪のように終わりが無く、ループしていく。それが輪=ダークソウル。

●終わりに

この世界も、もしかしたら始まりは誰かがダークソウルという顔料を元に作った絵画世界かもしれません。

絵画世界の中にダークソウルで絵画世界を書き、またその中の誰かもダークに魅力され、火を灯し、そして争いが起き、そして破滅へと向かうでしょう。


それこそが人。それこそがダークソウル。




…という妄察、妄想終わり。